たしかに江戸期の農村や下町共同体は、温かく親密な関係のなかで安んじうる場所ではありました。けれども、地縁、血縁のしがらみの重圧も強かったでしょう。まして個人の自由、私の権利意識のたかまったいま、伝統的な共同体という先祖帰りは無意味です。しかし、しがらみから逃れ、抑圧からの自由を求めたのは江戸期の民衆も同じでした。武士も町人も百姓も、身分をこえて自由な一私人として参加したのがさまざまな「連」でした。

欧米でのカフェやサロン、読書クラブが近代の市民公共性を形成する場となったように、それらは幕藩体制のなかで、自由なもうひとつの世界をつくったのです。さかのぽって13世紀の日本、身分や名前をかくし「無縁の衆」として参加した「花の下連歌」の座で人々は楽しみを分かちあったのです。

江戸期には、俳諧、狂歌、物語、落語、絵暦、浮世絵、博物学、医学などの文芸、科学技術を生み出す坩堝にもなりました。地方でも寺子屋の同窓会が連になり、歌舞伎のファンクラブや旦那衆が座をもりたてました。関心を共有する仲間との連なりのなかで、互いに個性を生かしあい、多様な考え、感性のぶつかりあうなかから、新しい価値を生み出す、そんな連でありたいのです。
どうして「連」というの?